2012年5月4日金曜日

南国沖縄生まれが、北の東北とやっとつながった (その2)

ボランティア2日目/424日(火)



朝早くから、気仙沼大島へ向かいます。



気仙沼市内は復興支援の人たちが集まっているせいか活気がありましたが、
海に近づくにつれどんどん風景が変わり、1階が破壊されて
2階から上は残っている建物が、まだ点々と残っています。
瓦礫の間に見える土台が、そこに建物があったことを意識させます。


船で大島へ。
気仙沼を振り返ると、ブルドーザーが建物を解体している様子がいくつか見えました。


大島に到着、沿岸部付近。ところどころにがれきや建物の土台があるほか、なにもありません。


その足で、編み物講座が開催される崎浜美和会館へ。
たこつぼをみんなで制作。
ゆるやかにおしゃべりしながら、どんどん作っています。



みなさん熱心に、作り方を教え合っていらっしゃいました。


(イカ軍団発見!ひえ~~カワイイ・・・!!)





終了後は、お母さん達が持ち寄ってくれた梅漬けやお菓子、春野菜などを
おしゃべりしながらいただきました。とても美味しかった!


その後つなプロの方と合流、お昼を食べた後に
大島を案内してもらいました。


島の入り口の港をのぞむ。沿岸沿いは商店街で賑わっていたそうですが、
すっかり跡形はなくなっていました。



「大島の、のんびりしたところが好き」とお母さん達がお話していたのですが、たしかに!
こんなのどかな風景が広がります。









無残ながれきの山を実際に目の当たりにし、自分が持っているもの、与えられているものは
身体と時間だけなんだと改めて思う。
自分の人生をどうのように使うか、「生きる」ということを
深く考えるきっかけになるだろう、と感じました。



最後の目的地、津波ですべて流されてしまいながらも
寄木港で自ら仮設住宅を建設され、生活を営まれている高橋七男さんのところへ到着。
支援されていたという熊本のご夫婦が先客でいらっしゃり、すでに和気あいあい、賑やかでした。

間一髪で津波から避難した、高橋さんの息子さんの言葉、
「これが東京じゃなくてよかった。もっと大変だったと思うから」。

みな同じように災害のリスクを抱えています。
3.11はたまたま東北だったけれど、また大きな地震がきっと来る。
だからこれは人ごとではなく、当然自分にも起こりうることなんだと思う。
見過ごすなんてことはやっぱりできない、と思いました。


わたし、ほんとに宮城に行ってよかったです。
お会いする人みなさん、それぞれがキャラ立ちしていておもしろい方々で、
たった2日だけのボランティアでも笑顔であったかく迎え入れてくださり、
また現地の様子を自分の目で見ることで
3.11以降ずっと不安だった気持ちが、やっと落ち着きました。

そして今回出会った仙台、小野、大島、寄木のみなさんに、
また会いたいから、また行きたいと思います。

みんな、現地でがんばってるんだから、わたしも自分の持ち場でがんばらなきゃな。


ご縁を作ってくれた片岡さん、アテンドしてくださった足立さんに心から感謝します。
沖縄出身のわたしと東北をつないでくれて、本当にどうもありがとうございました。


神里僚子






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