2012年5月4日金曜日

南国沖縄生まれが、北の東北とやっとつながった  (その1)


3.11後の現地の様子をみて、心を痛めなかった方はいなかっただろうと思います。
わたし自身も、できることで何かしなければと思いつつも
あまりの規模の大きさに呆然としてしまい、自分一人が動いたって何にもならないのでは、、、
と思いつつ、目の前の仕事や日々に追われてあっという間に1年が経っていました。

だけど、今回のいろんなご縁を考えると、まさに東北に「呼ばれた」という気がします。
現地でいろいろな方にお会いして、行く先々でみなさん笑顔でむかえてくださって
美味しいものをたくさんご馳走していただいて、
自分もここで笑ってもいいんだ、とやっと知ることができて、ほっとしました。
ずっと重くのしかかっていた「何かをすべきなのに、自分は何もしていない」という気持ちを、
少しだけ放つことができたかもしれません。

お会いした方がおっしゃっていたのは、「一度でいいからこっちに来てほしい」とのこと。
ひとりひとりいろいろな状況があって、なかなか行けない方も多いと思いますが
もし少しでもご縁を感じたら、キャッチしてつながれるといいなあと思います。


(今回、わたしも縁あって、「編んだらもんだら」をプロデュースされている
足立千佳子さんとつながり、体調が万全でないところ2日間も同行させていただき、
いろいろなお話をお聞かせいただきました。)

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市民の視線で撮った3.11以降の画像を後世に残そうと活動している特定非営利活動法人20世紀アーカイブ仙台という市民団体が仙台にあります。
おかみちゃんこと、私、足立も震災後に撮った画像を提供し、実際にどんな暮らしをしたのかインタビューを受けました。そのインタビュアー片岡理恵さんが、足立の震災後の被災地支援活動に共感してくださり、ご自身のお知りあいである神里僚子さんを足立とつないてくださいました。
今回、神里さんが足立の活動に二日間同行していただき、そのレポートをお寄せくださいました。(注 足立)
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ボランティア1日目/423日(月)

お昼ごろ東京から仙台に到着し、タクシーで登米へ。
新幹線に乗る前に電車の遅延があり、さっそく登米市行きのバスには乗り遅れてしまい
13時スタートの講座に間に合うよう、渋る運転手さんを説得。
道中、震災時、その後の1年の仙台の様子を聞くことができました。

ということで、予定時間に到着し、無事足立さんに合流。
コンテナおおあみでの手編み講座にボランティアとして、さっそくお手伝いです。
この日は4人のお母さんと、仙台からいらした渡辺さん母娘が参加。

わたしはこの日はじめて、「編んだらもんだら」の現物を目にしたのですが、
カラフルで愛嬌のあるエコたわしキャラたちに釘付け!!!
「カワイイ!!!!私も欲しい・・・!」と内心思いつつも
作られてきた試作品のめかぶとわかめの斬新さにビックリ、感心しきりです。

肝心のお母さんたちは、ほんとに楽しそうに、
思い思いのキャラたちを制作されていました。


その後東松島市小野の仮設住宅に移動し、
自治会長の武田さんと、「めんどくしぇ」人形を制作中の今泉さん、
岐阜から支援にいらしていた宮田さんとお会いする。

「この人形を小野のシンボルにしたい」という武田さんの思いを聞いて、
いろんなアイデアを出し合いました。

・・とそのうちに、武田さんが夜ごはんを用意してくださり、
みんなで和気あいあいといただきました。
(締めのあさりの味噌汁、磯の香りでほんと美味しかったなあ。。)

その後、栗原市若柳の農家民宿「たかまった」さんで宿泊。
1日をあわただしく駆け抜けて、バタンキューでした。

※1日目は遠慮してしまい、写真を撮れませんでした。。(後悔)




神里僚子

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